贄川関所自体の疑問や悩み - ナレッジリーフ@知識の葉

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  • 教養と学問、サイエンス > 歴史 > 日本史
  • Sat, 31 Aug 2019
  • 質問No. 4171511

解決
済み
Q 贄川関所自体の疑問や質問

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A贄川関所自体のQ&A回答一覧

    Yahoo!知恵袋

    • 投稿日時 - Sat, 31 Aug 2019 09:49:30
    • 閲覧数 6
    質問

    (↓) この下記の URL のページによると、「江戸時代は奈川、贄川、奈良井の各村とともに尾張藩の領地に入り、贄川関所が松本藩と尾張藩の境であった。 」そうですが、

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9B%BD%E9%83%A1#歴史

    贄川関所や贄川宿(にえかわじゅく)自体は、松本藩か尾張藩のどっちの領地及び管轄だったのでしょうか?

    贄川関所や贄川宿(にえかわじゅく)は、松本藩か尾張藩のどっちの領地及び管轄だったのかを教えてください。





    贄川宿(にえかわじゅく)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%...
    アンサー
    回答

    「正保四年 信濃国郷村帳」では、正保四年(西暦1647年)木曽贄川村(定納米150石)は尾張大納言領分となっています。

    また「旧高旧領取調帳」では、明治元年(西暦1868年)の信濃国筑摩郡贄川村80町5反8畝26歩は名古屋藩領分となっています。

    以上から、贄川宿を含む贄川村の全域は尾張名古屋藩の領分であることに間違いはないと思われます。

    なお贄川番所(贄川関所)自体は、慶長6年(1601年)に江戸幕府によって中山道が定められた段階で、番所として設置したものです(贄川関所自体の歴史は戦国時代までさかのぼる)。江戸時代を通じて番所内の敷地自体は幕府の管轄であった可能性があると思ったのですが、『歴史地名体系』から「贄川番所」の解説を引用すると

    宝暦三年(一七五三)の「千曲之真砂」に「片平村にへ川橋を渡りて尾州公の関所有、関を越し、小坂をのほりてにへ川に入ル」とあるように、贄川番所は贄川宿の北端江戸方入口に設けられていた。贄川宿の町並をはずれた坂道の途中に番所跡がある。

    とありましたので、贄川番所(贄川関所)の管理も尾張名古屋藩の手で行われていたようです。『歴史地名体系』によると、

    番所の任務について諸国御関所改方之次第には「贄川関所と申す所にて江戸え下り候女、改め申候、鉄砲は相改めず。是は福島御関所通り申さず候女、飛騨より木曾路への脇道にて、旅人往来これ有るに付添番所申付置候」とあり、また天保九年(一八三八)の「木曾巡行記」に「贄川東宿端に白木番所あり、山村よりこれを置く」とあって、女改めのほかに木材の密移出を取り締るための「白木改め」も行われていた。

    とのことです。
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