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  • Fri, 11 Oct 2019
  • 質問No. 8485465

解決
済み
Q 入滅後の疑問や質問

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  • 質問総数2

A入滅後のQ&A回答一覧

    Yahoo!知恵袋

    • 投稿日時 - Fri, 11 Oct 2019 19:57:24
    • 閲覧数 114
    質問

    仏教徒の方に質問します

    悟りを得る事は出来ましたか?

    何年修行してますか?

    今後、悟りを達成する見込みはありますか?
    アンサー
    回答

    こんにちは。「tyran」です。


    私は、仏教徒(僧侶)ではありませんが「悟り」を得ることはできました。

    質問者様の「悟り」との違いはありますが、人それぞれ「様々な悟りがある」と感覚しました。私の「悟り」で恐縮ですが、下記に書かせていただきましたので、読んで頂けると幸いです。

    私が「悟り」を開いたのは2011年5月のことで、「三心経」と名付けた三つの悟りを得ました。それが「蓮華心経」「不鬼心経」「拝霊心経」です。

    結論から言うと私自身「弥勒菩薩」なのですが…
    2005年9月11日に起こされるはずだった国際テロ組織「アルカイダ」による、アメリカ合衆国での「天然痘散布計画」を阻止させていただき、さらに、翌年の2006年8月11日に起こされるはずだった国際テロ組織「アルカイダ」による、アメリカ合衆国の10都市行きの「旅客機:10機の爆破墜落計画」を阻止させていただきました。

    2006年8月11日、ロンドンのヒースロー空港に集結した「アルカイダ:30名」は、爆発性の液体を入れた「ペットボトル」を懐に忍ばせて、一機に3名が乗り込み、アメリカの都市に近付いたところで、トイレにて3人が液体を混ぜて爆破墜落させる計画でした。

    アメリカ合衆国の10の都市に「旅客機」が墜落していたら、当時の「ブッシュ大統領」は、「中東」に向けて核弾頭を撃っていたはずで、2005年・2006年の二つの「テロ計画」を阻止することで、「核戦争:アルマゲドン」になる運命は無くなりました。

    「世界の運命」を変えて、今年2019年で13年目になるわけですが、現在の世界は「命」と「コンピュータ社会」が継続された世界になります。2006年当時の世界人口が約60億人で、すなわち「56億7000万人」という数字になります。

    実は、仏教界でささやかれてきた説「弥勒は釈迦入滅後、56億7000万年後に世に下生降臨して人類を救う」は誤りで、56億7000万年後には膨張した「太陽」に「地球」は飲まれて存在していないわけです。

    つまり、真実は「弥勒は世界人口の56億7000万人を救って、その後『悟り』を開いて、弥勒如来となって世に出る」が正解だったわけです。

    ◆2006年「アルマゲドンの阻止」
    ◆2011年「三心経の悟りを得る」

    「核戦争」を食い止めて平和な世界に暮らす中で、心の中に「すべての命の幸せ」という思いがあって、それが「蓮華心経」に繋がって行き、やがて”人の腹の中「丹田:へそ下5cm」には衣食住、生きるための「鬼」がいる。”と気付くわけです。

    「蓮華心経:れんげしんぎょう」

    「命の大小にかかわらず、すべての命は蓮の華の上に載っている美しい玉のようなもの。すべての命は尊い。そこに命があれば、何であれその幸せを願うべきなのだ。」という心経:心のおしえです。

    「不鬼心経:ふきしんぎょう」

    実は、人間の丹田には「鬼」が置かれており、勿論、この「丹田の鬼」には慈悲心が無く無慈悲なのですが生きて行くために、この「鬼」が必要なわけです。

    「蓮華心経」は、すべての「命」を尊ぶ”悟りの入門編”ですが、あくまでも「方便の悟り」です。必要な意識ですが、この悟りこだわると生きられなくなります。

    口に入る食べ物は、みな「命」です。
    「可哀想」と思うと命を奪って食べられなくなってしまいます。「牛・豚・ニワトリ・魚介類」に限らず、「ニンジン・大根・ほうれん草」も命です。

    生きるために必要な「丹田の鬼」が、人間の腹の中に置かれているわけですが、この「鬼」は人間のマイナス想念(恨み・憎しみ・嫉妬・ねたみ)で「胸」まで上がってしまい、人生に様々なトラブルを起こしますので、「腹の鬼は腹のまま」「胸の中には鬼あらず(不鬼)」と、心得て生きて行くことが肝心です!

    自らの鬼を腹に留めて胸に抱かないように生きる(仏陀:目覚めたる者の生き様)

    お釈迦様が「丹田の鬼」についてどこまでご理解されていたかは不明ですが、何となく「存在」に気付いておられたことは確かでしょう。

    「恨まず・憎まず・鬼あらず」の言葉は、私の口ぐせですが「仏教界」には無かった言葉です。

    実際、お釈迦様の「お悟り」の内容は、「人間の命の中にはマラ(悪魔)がいる。欲心も悪魔も、大いなる命の一部として存在している。」と、悟られており、一つ目に「人の命の中に悪魔がいるのだから、心の中で注意しないと悪魔に操られる。」との思い。そして、二つ目に「生きるために悪魔が居るゆえに、人は過ちを犯す。ゆるす心:慈悲心も大切。」と、お感じになられたと思います。

    「慈悲の心:仏心」です。

    「悟り」=「慈悲心」。
    「悟り」=「空:鬼あらず・胸に鬼がいない。からっぽ、空(くう)」

    人間の体の中に、「空」(鬼あらずの慈悲心)と「色」(欲心担当の悪魔:丹田の鬼)が同時に存在しております!すなわち「色不異空・空不異色」「色即是空・空即是色」です。

    つまり、人間の体の中にある「欲」や「悪魔:鬼」を否定するのではなくて、その存在のあり方、位置関係に注意する。これが「悟り」のポイントです。

    「三心経」の三つ目は「拝霊心経:はいれいしんぎょう」ですが、この悟りは「すべてのご霊さんを拝み敬う」と言う悟りです。
    「人の体」の中には「霊体」という光の本質が入っており、死後、遺体から生前の記憶を持った「幽体」をかぶったかたちで「霊体」が抜け出て、「幽界」にて幽体を脱ぎ捨てて、発光体の「霊体」になって「三途の川」を渡られます。

    (勿論、「丹田の鬼」ともお別れをして三途の川を渡ります。「鬼」は「彼岸:仏様の世界」に連れて行けません)

    空の雲の上に「彼岸:霊界・天上界・菩薩界・仏界・神界」が存在しておりますが、この「死後の世界」についてはお釈迦様が語られておらず、実際に2500年前には霊界の知識がありませんでした。

    死後の世界は存在しており、ゆえに「輪廻転生」があるわけです。

    どんな人間でも、「幽体:生前の記憶体」を脱ぎ捨てて、すべての執着を捨て去り「霊体」となられれば川を渡られて「彼岸」に帰れます!帰れないご霊さんはいません。すべてのご霊さんを拝み敬い尊ぶ心が大切です。

    実は、人間の体の中にも外の世界にも同じ「次元世界」が存在しており、例えば「霊界」は、第5次元で人間の「胃」の位置に値しており、「幽界」は第4次元で人間のへそ下5cmの「丹田」に値しております。

    「天上界」は、第6次元で「胸」にあり、この次元は「愛の次元」で「天国・極楽浄土」の次元があって、この「愛」の意識から生きて世界に貢献された人々が死後に、雲の上にある「天上界」に暮らされてるわけです!

    「霊界」は、第5次元で「胃」の位置ですが雲の上にあって、「善」の意識で生きておられた人々が帰る世界です。死後、ほとんどの方々がこの「霊界」にお帰りになられます。

    「神界」は、第9次元で「脳内:松果体」に位置します。
    「仏界」は、第8次元で「脳内:脳下垂体」に位置します。
    「菩薩界」は、第7次元で「喉:甲状腺」に位置します。


    上記の三界(神界・仏界・菩薩界)は、「成層圏」の上「宇宙圏」に存在しており、神界が宇宙圏:上部、仏界が宇宙圏:中部、菩薩界が宇宙圏:下部になります。

    お釈迦様は、現在「月」におられて、月面には「紫色の宮殿」があってそこで暮らされておられます。「月」は落ちてこない。すなわち「生れ落ちない世界:涅槃」です。

    「悟り」を開いて如来になられご入滅されると、死後、転生からの解脱者として「月」で暮らされながら「神」に成られる勉強をされる。

    そのために、「人」から「仏:仏陀」に成らなければならず、「悟り」を開くまで輪廻転生は繰り返されて、どこかの人生で悟られて「如来」と成れば今度は「人間」に生まれ変わらずに、「仏」として「神」の勉強をされてゆかれる。

    「人」から「仏」はあっても、「仏」から「人」に成ることは無い。

    現世界:この世には、災難・事件などの「魔」が存在しており、貴重な「如来仏」を傷つけられては困る。ゆえに「仏陀」は涅槃に存在して「神の勉強」をされてるわけです。

    人間は、誰もがその「候補生」です。

    人間とは何か?
    人生とは何か?

    人間とは神(神の分魂)であり、人生とは仏(仏陀:如来)になるための修行である。

    以上、長文となりました。

    「悟りの世界」も人それぞれですが、最終目的はみな同じです!
    いつか、質問者様も「神」に成られるときが来るのかもしれません。


    ここまで読んで頂いて誠にありがとうございました。
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    • 同意数3(5-2)
    • 回答数4
    • 投稿日時 - Mon, 26 Aug 2019 06:39:28
    • 閲覧数 41
    質問

    「日蓮宗」と「日蓮正宗」の違いは何でしょうか。 「日蓮宗」と「日蓮正宗」の違いは何でしょうか。
    アンサー
    回答

    日蓮宗と日蓮正宗

    拝む対象の違いなどは他の回答者様のご説明の通りです。
    私は別角度からの回答を試みます。

    「日蓮宗」の呼称には大きく二つの意味があって、一つは「身延山久遠寺を総本山とする特定の宗教名」、もう一つは「日蓮門下全門流の総称」です。

    学校の教科「歴史」などで習う「日蓮宗」と言う場合は後者「日蓮門下全門流の総称」の意味になります。

    ちなみに日蓮が生み出した「南無妙法蓮華経」を唱える宗教が現在800もあるそうです。


    日蓮入滅後、教団は六老僧を中心にして拡大していきましたが、師弟の繋がりによって浜門流(日昭)、池上門流(日朗)、四条門流(日像)、六条門流(日静)、身延門流(日向)、富士門流(日興)、中山門流(日常)などの門流にわかれ、たがいに異なった秘伝・法門を相続し、ときには門流の対立から分派もみられました。

    「日蓮正宗」はこの中の「富士門流」に位置づけられます。


    現在「日蓮宗」と総称されている理由としては明治期の政策が大きく影響しているものと推察できます。
    1872年(明治5年)、明治政府は仏教各派に対し天台宗、真言宗、浄土宗、禅宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗の七宗派に統合して各派から管長一名を設置するよう官布告を出しました。

    以後、大石寺とその末寺は、1872年(明治5年)から1874年(明治7年)には「日蓮宗」、1874年(明治7年)から1876年(明治9年)には「日蓮宗勝劣派」、1876年(明治9年)から1900年(明治33年)には「日蓮宗興門派」、1899年(明治32年)に「本門宗」と改称し、それぞれ「日蓮宗」に包括されていました。

    以後数度にわたり独立を政府へ願い出た結果、1900年(明治33年)大石寺第56世日応の代にいたり大石寺の分離独立が認可され、「日蓮宗富士派」と公称するに至りました。

    1912年(明治45年)6月7日、大石寺第57世日正の決定により、現在に至る「日蓮正宗」という宗号が政府の認可のもと公称されることとなりました。

    したがいまして「日蓮正宗」は大局的・包括的には「日蓮宗の一派」ということになります。
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    • 同意数-1(16-17)
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