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  • Sat, 12 Oct 2019
  • 質問No. 8587972

解決
済み
Q 仏典の疑問や質問

  • 閲覧数35
  • 質問総数37

A仏典のQ&A回答一覧

    Yahoo!知恵袋

    • 投稿日時 - Sat, 12 Oct 2019 19:47:08
    • 閲覧数 35
    質問

    日本仏教は18宗ありますがそれぞれどうやれば天国 極楽浄土にいけると教えてますか? 分かる範囲で教えてください

    十八宗と呼ばれる18の宗派は、三論宗・法相宗・華厳宗・律宗・倶舎宗・成実宗・天台宗・真言宗・融通念仏宗・浄土宗・臨済宗・曹洞宗・浄土真宗・日蓮宗・時宗・普化宗・黄檗宗・修験宗
    ありますがそれぞれどうやれば天国 極楽浄土にいけると教えてますか?
    アンサー
    回答

    何もいりません。どの宗派でも良い、仏典はみな釈迦仏の真実の教えです。
    御仏、法、僧を敬い尊び信じる。人様に嫌なことをせずに助けて、人としての振る舞いに注意して一生懸命に日々生きる。この世が即寂光土「極楽」と変わります。現世来世共に常寂光土。
    お金など布施には無関係、喜捨(布施)は心のこもったその方の身の丈に合った額で良いのです。
    仏様に供養するのだから、金額の多寡に云々言う坊主は後で仏様に叱られます。泥団子を供養した子供が王様になる逸話がお経にあります。
    坊主の考えや目は気になさるな、仏様は心ざしは見ておられます。人として正しく生き、他人へ優しくいたわる。これに尽きる。必ずや現世安穏、後生善処。現世が即寂光土(即身成仏)に、死後も常寂光土に生まれます。今生きている事が楽しく遊楽している如くに変わります。
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    • 同意数1(5-4)
    • 回答数5
    • 投稿日時 - Fri, 11 Oct 2019 04:23:14
    • 閲覧数 17
    質問

    死んだらどこに行くのか教えてください。 死んだらどこに行くのか教えてください。 お願いです。本当にお願いします。
    地獄と天国は本当にあるのでしょうか。
    ものすごく辛いです、 こないだ自殺を図りました。けど自殺未遂で死ねませんでした、
    彼氏に振られて彼氏の隣で死ねればと会ってる時に自殺を図りました。なんのためらいもなかったです。
    遠距離だったので、今は家に帰ってきてもう彼氏も隣にいません。 なのですこし怖いです。
    アンサー
    回答

    仏教は生まれ変わるというのが基本の考え方です。生まれ変わるのですから天国や地獄が現実とかけ離れた所に在ったのでは辻褄(つじつま)が合いません。天国も地獄も現実の世界で見ることができます。例えば金持ちの幸せな家庭に生まれる子供と、貧乏で親から虐待されるような家に生まれる子供、この違いが天国と地獄です。他には平和な国に生まれる子供と戦争が絶えないような国に生まれる子供、この違いも天国と地獄です。天国や地獄は生まれる場所のことなのです。

    生まれ変わるときは、死んでいく時の気持ちと母親となる女性の気持ちが共鳴した所に生まれるそうです。これを感応妙と言います。感応とは相手が楽しそうにしていればこちらも何となく楽しい気分になり、悲しそうにしていれば悲しい気分になるようなものです。死にゆくときに多くの人に感謝されながら幸せな気持ちのまま死んでゆけば、母親となる女性も多くの人に祝福されながら幸せの中で出産していることになります。反対にだれにも看取られることなく一人寂しく死んでゆけば、母親となる女性も一人寂しく出産していることになります。趣味が同じ人が引き合うように同じ境遇の人どうしが共感し引かれ合うのです。ただ仏教では感応し合うのは人間だけとは限らないと言っています。

    自殺がなぜいけないかと言うと、自殺は孤独と絶望の中で死んでゆくのですから、生まれ変わるときに孤独と絶望の中で出産している母親の元に生まれることになります。ただそれだけではなく周りの人にも取り返しのつかない後悔と悲しみの記憶を刻み付けることになります。ようするに自分だけでなく自分のことを一番心配してくれる人たちも地獄の道ずれにしてしまうからです。仏教は自殺したら地獄とは言っていません。例えば安楽死のようにみんなに見守られながら心安らかに死んでゆくことができれば地獄ではないということです。

    日本人は死後の世界を「あの世」とか「霊界」と考えているように感じますが、仏教は生まれ変わるまでの間であり、あの世がどうなっているかと言うと、夢を見ているようなものだそうです。前日に楽しいことがあれば楽しい夢を見、辛いことがあれば悪夢にうなされる。死は睡眠に似ていると説いています。睡眠を挟んでいても昨日と今日が継続しているように、生と死も今世と来世は断絶しているのではなく継続しているのです。前日いやなことがあれば朝目覚めたときに気分が悪いのと同じで、前世も今世も来世も断絶しているのではなく「あの世」を挟んで連続しているということです。テレビで前世のことを記憶している子供の特集番組を見たのですが、生まれ変わるまでに50年くらい要しているようでした。仏典によると成仏できた人は四十九日と言われていますが、地獄に落ちる人は何百年もかかるようです。

    ほとんどの子供は前世の記憶を持っていません。人間は強い衝撃を受けると記憶をなくすことがあるそうですが、出産という強い衝撃によって前世の記憶をなくすのではないか。其の中にあっても、たまに前世の記憶を残している子供がいるのではないでしょうか。前世の記憶を残している人は前世において暴力死、または事故死した人たちであるという研究結果がアメリカ心霊研究協会に残っているそうです。キリスト教は生まれ変わるという考え方は有りませんが、キリスト教国のアメリカ映画で生まれ変わるというのを題材にした映画が増えているような気がします。
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    • 同意数-13(3-16)
    • 回答数4
    • 投稿日時 - Thu, 10 Oct 2019 19:03:23
    • 閲覧数 44
    質問

    仏陀って相当ヤベー事言ってますけど、なんであんな極端な思想がここまで世界に広がったのでしょうか? 私は浅学の身なので偉そうなことは言えませんが、物質世界のすべてを否定しているように感じてアウトロー過ぎてついていけませんでした
    また、仏陀が死んだとき弟子たちは泣いたらしいですけど、輪廻から外れることが目標だったのだからそこは喜ぶべきところではないですか?
    詳しい方、専門家の方、私の解釈違いがあったら正してください
    アンサー
    回答

    質問者さんが仏教のどういった部分を捉えて「ヤベー」または「極端」と評しているのかわかりませんが、ニュアンスとしては仏教の特徴を捉えられている印象を受けます。

    ご存知の通り、仏教は、生存という現象を本質的に苦であると見なします。これを苦諦といい、その原因が執着や煩悩にあるということを集諦といいます。
    執着や煩悩というのは、別の言葉で言えば愛や欲望ですから、ブッダが生きていた古代インドの時代から現在の高度資本主義社会にいたるまで、一貫して世俗の世界が依存して成立している根本的な価値(とされるもの)と言えるわけですが、仏教はこれを真っ向から否定するわけです。

    なぜ、そのように否定しなければならないかと言えば、それが他ならぬ苦の因であるということがブッダによって明らかにされた「真理」(sacca)だからに他なりません。
    薬物依存患者は薬物に依存することで快楽を生じさせていますが、彼が味わう業苦もまた薬物から生じています。
    そのように楽と苦は同じ現象の裏表なのです。そうである以上、どちらか一方をいかしたまま、一方を絶つということはできないのは道理です。
    苦を滅したいと思えば、楽をも滅する覚悟で薬(依存対象)を絶つしかないのです。この道理を滅諦といいます。
    そして、その方法はブッダが指示した梵行を実践すること意外にないとするのが、導諦です。

    これら、苦諦・集諦・滅諦・導諦、すなわち四つの聖なる真理たる四聖諦 cattāri ariya-saccāni こそ仏教の教えの要諦です。
    ブッダによって明らかにされたこの四聖諦を真摯に観じるとき、人はそれが反論の余地のない厳然たる真理であることを自ずと知ります。
    つまり、仏教が2500年の長きに渡って人々の拠り所になってきたという事実の中心には、この四聖諦という真理があるわけです。


    なお、ブッダが死んだとき弟子達の一部が泣いたという伝承は、パーリ仏典の大パリニッバーナ経に伝えられています。
    ただし、このとき泣いたのは有学とよばれる、まだ修行の途上にある者たちであり、涅槃を証して阿羅漢と呼ばれる解脱者になったものたちは動揺してなかったと伝えられています。

    『世尊が般涅槃されたとき、解脱していない一部の比丘たちは、腕を突き出して泣き、足を切られたように、倒れ込んでのたうち回った。
    「世尊が般涅槃されるのはあまりに早い。善逝はあまりに早く般涅槃された。世の眼はあまりに早く没された」と。
    しかし、解脱している一部の比丘たちは正念正知を保ったままであった。
    「諸行は無常なり。どうしてここに、永遠なるものがあるだろうか」と。』
    (パーリ仏典 長部 大パリニッバーナ経)
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    • 同意数-11(4-15)
    • 回答数9
    • 投稿日時 - Tue, 08 Oct 2019 10:04:29
    • 閲覧数 13
    質問

    普遍的な答え、テーマ性を持った書物、小説といえば何が思い浮かびますか?何個でもいいので挙げていただければ嬉しいです。 普遍的な答え、テーマ性を持った書物、小説といえば何が思い浮かびますか?何個でもいいので挙げていただければ嬉しいです。 個人的にはやっぱり聖書とかがそうなのかなあ、と。シェイクスピアも有名ですが、戯曲ってのはちょっと個人的に読みにくくとっつけませんでしたので分かりません。
    アンサー
    回答

    やはり筆頭は聖書でしょうね。歴史上これ以上読まれ影響をもたらした書物はないでしょう。ただそれは一度さっと読んだだけで、読み捨てられたのが実に多く含まれますから、真剣に読まれた数はそんなに圧倒的かどうかは分りません。でも私なりに考えてみますと、

    聖書、コーラン、仏典の類。
    シェイクスピアの作品。特にハムレット。
    ゲーテの作品。特にファウスト、若きウェルテルの悩み。

    資本論・マルクス
    社会契約論・ルソー

    プラトンの著作
    アリストテレスの著作

    これらは影響力があった本と言えるでしょう。
    教養と学問、サイエンス > 芸術、文学、哲学 > 文学、古典
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    • 同意数-9(5-14)
    • 回答数2
    • 投稿日時 - Fri, 04 Oct 2019 16:42:28
    • 閲覧数 96
    質問

    上座部仏教の人が知恵袋にこんな投稿をしていました。

    以下引用

    解脱ってそんな簡単にできるものじゃないですから。 出家して227条の戒律を厳格に守る生活をして修行しても、この数百年で解脱に達したことが世界中の仏教僧に正式に認められた人がいないくらいです。

    自称「私は解脱した」という人は、一杯いますけど。^^;

    原始仏典に、ちゃんと解脱した聖者の特徴というか、判断基準書いてあるんですが、それを正式に満たした人はいません。

    引用ここまで

    そこで質問です。
    上座部仏教では誰も解脱して救われる...
    アンサー
    回答

    その回答を書いた本人ですけど、

    【地球上の人類が全員解脱していなくなって、つまり人類滅亡することが仏教の理想なんですか??】

    という質問に対して、「人類全員がそんなに簡単に解脱できるわけではない」と回答しただけで、「上座部仏教で悟れない」とか「上座部の修行が無意味」とコメントしたつもりはありません。

    引用元のURLも載せず、中途半端な所だけ切り取って引用されると困ります。

    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13209992098?__ysp=6Kej6ISx44CA5Zyw55CD5LiK44CA55Sf5ZG9

    私は、「この数百年で解脱に達したことが世界中の仏教僧に正式に認められた人がいない」と書きましたが、これは大乗仏教も同じです。

    上座部には、悟ってないのに「私は悟った」と嘘をついてはいけない戒律があるので、「私は悟った」と自己主張する人はほとんどいません。

    しかし、大乗仏教にはそんな戒律がなく、宗派によって悟りの解釈が違ったりもするので、「私は悟った」という人が沢山出てきます。知恵袋を読んでいても、そういう回答をする人を結構見かけます。

    「自称「私は解脱した」という人は、一杯いますけど。^^;」と書いたのは、そういう人達の事です。

    自称解脱者が出現しやすいという点で、大乗仏教なら悟れるような印象を持ってしまいますが、【解脱】は、お釈迦様が定義された内容だけなので、その基準を公式に満たした人がいるかというと、上座部にも大乗にも確認されていません。
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    • 同意数-14(0-14)
    • 回答数6
    • 投稿日時 - Fri, 04 Oct 2019 16:13:00
    • 閲覧数 11
    質問

    今あるパーリ五部について
    たまたま分別説部がまとめて所持していたものが残ったにすぎず、
    実際には部派ごとに所持している経典は違ったのだから、 原始仏典にしろどこまで仏説かわからないし、失われた原始仏典もたくさんあった
    と言う人もいるようですが、失われたと思われている部分の一部が大乗経典に流入している可能性はないですか?
    アンサー
    回答

    それはどうでしょうか。原始仏典からの飛躍が大きいですし。
    証拠は乏しいと思います。
    マナー、冠婚葬祭 > 宗教
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    • 同意数12(18-6)
    • 回答数1
    • 投稿日時 - Wed, 02 Oct 2019 21:58:41
    • 閲覧数 38
    質問

    釈迦像などに見られる光背についての質問です

    頭を中心にしてその背後にだけ丸く後光が出てるかのようなイメージですが 実は光背というのはヒンドゥー教の魔物特有のものです釈迦の正体は魔物ではないでしょうか?
    光背はオーラを持たない魔物による後光のカムフラージュに思えます
    皆さんはどう思われますか?
    アンサー
    回答

    如来像は「三十二相八十種好」という身体的特徴に基づき造られます。

    光背は「丈光相(じょうこうそう)」ですね。
    wiki「三十二相八十種好」で検索してみてください。
    三十二相の15番に書いてあります。


    三十二相八十種好は、転輪聖王(インドに古くから伝わる武力ではなく、正義で国を治める理想の王)の姿をもとに考えられた。

    あるいは、成道したお釈迦様の身体に実際に現れたと伝わる相。とも言われます。


    お釈迦様が最初に説法したのは、かつて一緒に修行していた五比丘で、五比丘は最初、苦行を捨てて乳粥を食べたお釈迦様をバカにして、説法なんか聞くか!と思っていましたが、半端ないオーラを放つお釈迦様の姿を見て、釈迦の最初の弟子になったと言われます。
    『仏所行讃』〜初転法輪〜より↓
    http://tubamedou.egoism.jp/SonotaButten/ButuShogyouSan/ButuShogyouSan15.htm


    ちなみに転輪聖王、手抜きしてコトバンクより↓

    転輪聖王(てんりんじょうおう)
    統治の輪を転がす王の意。インドのジャイナ教徒,ヒンドゥー教徒,仏教徒の間で考えられていた武器を用いず正義だけで世界を統治する全世界の理想的帝王である。仏教では,この王は三十二相という瑞相をそなえ,七宝 (輪,象,馬,珠,女,居士,主兵臣) をたずさえ,四徳 (長寿,無病息災,好顔,宝が蔵に満つ) を兼備するとされる。仏典では仏の代名詞とされることがある。また仏の説法を輪宝を転がすのにたとえ,転法輪という。
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    • 同意数-2(8-10)
    • 回答数2
    • 投稿日時 - Fri, 27 Sep 2019 04:43:23
    • 閲覧数 23
    質問

    心理についてなのですが、自分は、他人による自分の評価が自分の価値を決めると思っています。 だから、バイトで怒られると人一倍嫌になるし、締め付けられて、湯鬱になります。毎日泣いてたこともありました。他人の意見や自分に対する思いなんて笑い飛ばせるくらいの強い自分が欲しいです。
    どうしたらいいでしょうか。
    アンサー
    回答

    心の糧となるような優れた書物──とくに古典とか歴史的名著と呼ばれる本──を見つけて、繰り返し読むことを勧めます。
    尊敬する先生から学ぶようにして、あるいは親しい友人と付き合うようにして、お読みください。しっかりした人生観、価値観を育てるための糧となります。

    そういう本を何冊か紹介します。質問者さんの問題に対するヒントとなりそうなところを少し引用してみます。

    ⬛辻邦生『光の大地』(毎日新聞社)
    この小説には、こんな台詞があります。「人間って、他人の評判を気にしたときから、自分の人生がなくなりはじめるのよ。」
    辻邦生の小説はどれもおすすめです。リンク先も参照してください。
    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12206632107?fr=and_other

    ⬛加島祥造『タオ 老子』(ちくま文庫)
    『老子』を親しみやすい現代語に訳した本。こんな言葉があります。「ぼくらはひとに褒められたり、けなされたりして、びくびくして生きている。自分がひとにどう見られるか、いつも気にしている。しかしね、そういう自分というのは本当の自分じゃあなくて、……」
    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13112350788?fr=and_other

    ⬛プラトン『ゴルギアス』(岩波文庫)
    この本の中で、ソクラテスがこう語っています。「ぼくは、世の多くの人々の評価を気にかけるのはやめて、ただ真実を身につけることを……」
    ほかに、プラトーン『ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン』(新潮文庫)もおすすめ。
    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13189625073?fr=and_other

    ⬛中村元訳『ブッダのことば─スッタニパータ』(岩波文庫)
    最初期の仏典。第39詩にはこうあります。「聡明な人は独立自由をめざして、犀(さい)の角のようにただ独り歩め。」
    第799詩は「自分を他人と“等しい”と示すことなく、他人より“劣っている”とか、あるいは“勝れている”とか考えてはならない。」
    仏教では自分を他人と比較して「等しい」「優れている」「劣っている」などと思うのはすべて「慢」という煩悩なんですね。
    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10209327930?fr=and_other

    次のリンク先に挙げたような本も〝心の糧〟としておすすめです。私が影響を受けた本ばかりですけれども。(笑)
    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13202626963?fr=and_other
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    • 同意数-15(0-15)
    • 回答数3
    • 投稿日時 - Sun, 22 Sep 2019 20:20:26
    • 閲覧数 41
    質問

    悟りと神秘体験は違うものですか?
    アンサー
    回答

    パーリ版涅槃経を重視しているのですが、この経に拠る限りは神秘主義要素は忌むべきものであって、(仏教の)悟りは、神秘主義とは一線を画したものだと言えると思います。

    「見性体験」という語はパーリ仏典には存在しませんが、”見性体験はドゥッカに他ならない(=それは悟りではない)」という趣旨の経文があり、これは道元禅師の見解と同じですね。

    (※ドゥッカには”虚しい”という意味があります)

    がっかりする人も少なくないとは思いますが、ブッダの悟りとは、己を律する生き方を完遂することの中に存在すると思いますよ。

    日本人の特に禅教徒に対して分かりやすく言えば、風流や風狂は「ブッダの悟り」とは異なるということです。。。
    マナー、冠婚葬祭 > 宗教
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    • 同意数14(20-6)
    • 回答数10
    • 投稿日時 - Sat, 21 Sep 2019 15:06:49
    • 閲覧数 35
    質問

    上座部はどの程度、オリジナル仏説を歪めているか? 北伝仏教の誤りを追及したいという人がいまして、
    詳細は端折りますけども、問題提起をしたところ
    南伝だって結構、歪曲が多く混入してるし、必ずしも原型をとどめている訳でもない
    といった指摘を受けたようです。それでアバウトに観察して、せいぜい南伝は三割、北伝は
    一割程度位といった印象を持つ人が多かったように記憶しています。
    それで、種々ご指摘を仰ぎたいと考えますが、
    今回まずはっきりさせたいのは以下の点です。
    「パーリ仏典では、ブッダがサンヒターを中...
    アンサー
    回答

    現在、上座部を名乗っている教団の正体を知っていますか?
    部派仏教時代に上座部の中で有害な説を説く異端分子が破門になりました。その異端分子を分別説部といいます。その後、本来の上座部が滅んだのをいいことに、分別説部は自分たちが正当な上座部だと主張しました。つまり現在の上座部は元々異端分子なのだから本当の仏陀の教えなど伝わっていないのです。
    分別説部についてはウィッキぺディアにも載っていますから、ご確認下さい。
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    • 同意数13(16-3)
    • 回答数2
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